伊勢神宮

伊勢神宮から長谷寺へ。心身を整える、寺社仏閣巡りの旅

1日目 お伊勢参り

 近鉄伊勢市駅の改札をくぐると、献灯に吊るされた風鈴の音色に包まれた。その爽やかな音色に、涼を感じとる繊細な心を日本人は持ち合わせている。私が日本人であることを改めて認識しながら、献灯の並ぶ参詣道を駅から歩いていった。その先にあるのは、日本人の心のふるさと、伊勢神宮だ。

 2020年の夏、予定されていた東京五輪は延期され、世界はコロナ禍の真っ只中にいた。国内では感染第一波を乗り越え、深刻なダメージを受けた観光業を救うべく、Go To トラベルキャンペーンが実施されている。だがその矢先、東京都を中心に感染者数がジワジワと増え始め、全国に広がりつつあった。

 緊急事態宣言こそ出されていないものの、このご時世、遠出ははばかられる。なるべく密集をさけつつ、私の住む大阪から近場で夏休みを過ごしたい。そんなことを考えていたとき、あることを思い出した。

「妻はお伊勢参りに行ったことがない」

 これで行き先は決まった。帰りは道すがら、長谷寺に詣でよう。何せ一生に一度は伊勢参りと言うではないか。

 お伊勢参りには、かつて江戸時代に『お陰参り』と呼ばれる、伊勢神宮参詣の一大ブームが巻き起こった。庶民からお伊勢さんの相性で親しまれる、もっとも格式の高い神社。その正式名称を、神宮と呼ぶ。

 皇祖神であり、日本の最高神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が鎮座する内宮(ないくう)と、食物や産業をつかさどる豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祭る外宮(げくう)を中心とする、神道の聖域である。

 初代神武天皇から第10代崇神天皇(すじんてんのう)まで皇居に祭られていた天照大御神は、それを恐れ多いこととした崇神天皇により、現在の伊勢市宇治館町・五十鈴川(いすずがわ)の川上に祭られることとなった。今から約2000年前のことである。

 涼しげな鈴の音を楽しみながら、まず向かうのは、豊受大御神を祭る外宮だ。古くから、お伊勢参りは外宮から、というのがならわしである。

「一か所にいると息苦しくて、食事も満足に食べられないのだ……。丹波の国から豊受大御神を呼んでくれないか」

 今から約1500年前。第21代雄略天皇の夢の中に天照大御神が現れて、こうお告げを述べられた。

 夢から覚めた雄略天皇は、丹波の国から豊受大御神を現在の地に迎え、祭祀を始めた。豊受大御神は天照大御神の食事の世話をし、衣食住や産業をつかさどる神として信仰を集めている。

 手水で身を清め、木漏れ日の参詣道を歩いていった。内宮は右側通行だが、外宮は左側通行だ。道の両脇には、生命力にあふれた巨木が立ち並んでいる。その1本1本に、超自然的な力、精霊が宿っていることを感じずにはいられない。見上げた空はどこまでも青く、むくむくと高く湧き上がる雲は盛夏の訪れを知らせてくれた。

 鳥居をくぐり、拝殿の前に立つ。賽銭を用意し、二拝二拍手一拝でお祈りをささげた。

「いつもありがとうございます。おかげさまで——」

 その瞬間、正面から風が吹き、拝殿に飾られた幕が風にあおられて、ふうわりと持ち上がった。奥にある正殿が姿を現し、風はそのまま私の後ろへ吹き抜けていった。

 参詣で風が吹くのは神の歓迎のしるしと聞くが、果たしてどうなのだろう。風が吹き抜けたときに私が感じたのは、まぎれもない”恐怖”であった。穏やかだった私の心は一瞬凍りつき、お祈りを終え、拝殿に背を向けた私の両腕は鳥肌で覆われていた。

 神は恐ろしい存在でもある。いつもは私達に寄り添うが、気まぐれで牙をむく、人の力ではどうにもならない大自然そのもののように感じた。古人が森羅万象に八百万の神が宿るとし、畏敬の念を抱いたその理由を、すこし垣間見た気がしたのである。

2日目 長谷詣で

 2020年8月16日の早朝。

「都心は午前3時30分に気温30度に達しました……」

 テレビから流れるニュースに驚き、今日の酷暑を覚悟していたが、意外にも近鉄長谷寺駅は涼しかった。たいした標高ではないが、四方を山に囲まれた山間の駅には風が吹き抜け、暑さを和らげてくれていた。セミの鳴き声が響きわたり、眼前に広がる山々の緑の風景は、幼少期を過ごした故郷の夏を思い起こさせた。

 長谷寺の門前町には、往事に形づくられた街並みを現代に伝える、趣のある建物が並んでいた。その一角にある、寿司屋の前に止められた深いみどり色の原付バイクは、所々に錆びを浮かばせ、少し空気の抜けたタイヤは車体の重さを頼りなく支えていた。そのバイクが現役かどうか私には分からなかったが、そのたたずまいは、長谷寺の歴史を物語っているかのようだった。

 奈良県桜井市初瀬(はせ)にある長谷寺は、真言宗豊山(ぶざん)派の総本山である。今から約1300年前、686年に道明上人(どうみょうしょうにん)が天武天皇のために『銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず)』を初瀬山(はつせやま)の西の岡に安置したことに始まる。のち727年に、聖武天皇の勅願により、徳道上人が東の岡にご本尊・十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)を祭ったことで、長谷寺の基礎が築かれた。

 長谷寺の名物といえば、登廊(のぼりろう)だ。仁王門から本堂を結ぶ主参道であり、最初のものは平安時代、1039年に造られた。399段の階段からなる登廊は上・中・下の3つに分けられ、天井には風雅な灯籠がずらりと吊るされている。勾配こそゆるいものの登廊は意外と長く、参詣客らは息を切らし、額に汗をにじませながら登っていた。

 法要中の本堂ではお経が響き、厳かな空気に包まれていた。ご本尊の前で立ち止まり、しばし沈黙の時間を過ごす。約11mの高さがあるご本尊は、本堂の天井に迫る大きさだ。右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、目を半ば開いたお顔は穏やかでいて鋭い。その前に立つと、全てを見透かされているような心持ちになった。人間やはり、正直に生きなければならない。そのまなざしは、長谷の舞台からはるか彼方まで届き、人々に救いの手を差し伸べるのだろう。

 長谷詣でを終え、門前町の名物である草もちを食べながら、初瀬川のほとりを散歩した。ふと川原に目をやると、キセキレイが水浴びをしている。その黄色い羽根が、緑に囲まれた初瀬川によく映えていた。辺りにはただただ、川のせせらぎとセミの鳴き声が聞こえるばかりであった。

 日本人は信仰心が薄いと言われる。私自身、現実に神や仏が存在して、人々を戒めたり願いをかなえてくれるなどとは——そうあってほしいとは思うが——考えていない。

 だかたとえ無宗教者であっても、日本人の生活習慣には神仏の教えが刻まれているのではないか。食事の前には命を「いただきます」と手を合わせ、トイレには美しい神が住み、年末には年神さまを迎えるために玄関を飾り、鏡餅をお供えする。そして、仏や八百万の神々には、日々感謝をお伝えする。感謝の言葉を口にすることは、他人を尊重し、自己を成長させることにつながる。

 つい経済的価値ばかりを追い求めてしまう現代だが、たまには立ち止まって心身を整え、感謝の気持ちを伝える時間があってもいいだろう。そのことを教えてくれたのは、「水の神さま火の神さま、おかげさまで——」と、毎日かかさず感謝を伝えていた祖母と、私を育ててくれた母に他ならない。