ごみ箱を新しくして、ごみの分別について改めて考えた

 暮れが差し迫り、大掃除を前にごみ箱を新しくした。掃除の中で捨てる物も多々あるだろうし、何より以前のごみ箱では容量が足りず、週に二度三度と中身を入れ替えなければならなかった。容量を大きくしたのだ。

 それでごみ袋の交換は週一度で済むようになり「ああ快適、めでたしめでたし」で終わればいいのだが、僕は疑問に思った。

「そもそも、なぜこんなに——ごみ箱の容量を増やさねばならないほどに——ごみが多いのか」

 少しでもごみを減らす方法はないだのだろうか。

目次

 僕の家庭から排出されるごみの中で、圧倒的に多いのが「容器包装プラスチック」、いわゆるプラごみである。毎週のように30lのごみ袋が満タンになる。言っておくけど、僕は家中のプラごみを血眼になって探し集めているわけではないよ。ただただ生活しているだけで、大多数の日本人が想像するであろう”普通の暮らし”をしているだけで、毎週水曜日に両手で抱えて運ばねばならないほどのプラごみが出るのである。

世界が注目する海洋プラスチックごみ問題

 プラごみといえば近年「海洋プラスチックごみ問題」が世界で取り沙汰されている。プラスチックストローを鼻に詰まらせ、呼吸ができずに苦しんでいるウミガメの姿に、心を痛めた人も多いのではないか。プラごみの一部は街から川をたどって海に着く。プラスチックは生態系システムの中を循環しない。半永久的に分解されることなく、海洋を漂い続けるのだ。

 このまま海洋にプラごみが流出し続けた場合、海洋に存在するプラスチックの量が、魚の量を、2050年までに超過する、という試算がダボス会議で報告された。流出の過程で微細に砕かれたマイクロプラスチックが食物連鎖に取り込まれ、既に人体に蓄積されつつある、という研究もある。

 それが人体や生態系にどのように影響するかは研究段階ではあるが、考えてみてほしい。プラスチックは食べ物ではないのだ。それが体内に蓄積することを果たして健康的と言えるだろうか。(※環境省:プラスチックを取り巻く国内外の状況)

日本の廃プラスチックの有効利用率は80%以上だけど……

 こうしたごみの流出を食い止める取り組みのひとつがリサイクルである。だが、すべてのプラごみがリサイクルの軌道に乗るわけではない。その一例が街にあふれるポイ捨てだ。
 ポイ捨てされたごみが道路の側溝を通じて川に流れ、そして海洋へ流出する。これも海洋プラスチックごみ問題の原因のひとつである。

 リサイクルにしたって、日本のリサイクルにはからくりがある。
 一般社団法人プラスチック循環利用協会の『プラスチックリサイクルの基礎知識2020』によると、2018年の廃プラスチックの有効利用率は84%とあるが、そのうち、我々がリサイクルと聞いて真っ先に思い浮かべる原材料として再利用されている割合は、わずか23%にすぎない。残りの大部分・56%はサーマルリサイクル、つまり焼却した熱を利用しているにすぎないのだ。

 プラごみはもともと石油であるから、その発熱量を生かしエネルギーとして有効利用されている——とはいえ、燃焼により温室効果ガスを増加させるから、地球温暖化の視点から見ると、これはいかがなものだろう。ちなみに、再生利用とサーマルリサイクルを除いた残りの廃プラスチックは、焼却や埋め立て、その他、資源として輸出されている。(※参考:一般社団法人プラスチック循環利用協会の『プラスチックリサイクルの基礎知識2020』)

ごみを減らす・分別する

 このままでは海の生物よりプラごみの量が上回る。そのプラスチックが生態系に影響を及ぼすかもしれない。どうにか状況を打破できないだろうか。

「容器包装プラスチック、要は食品パッケージやレジ袋だから、スーパーでの買い物を辞めよう。自給自足の暮らしをしよう」などという飛躍した話は置いといて、国際的な取り組みは国家に、性分解プラスチックの開発や技術革新は企業や学者に任せるとして、個人でできる取り組みはないだろうか。

 ひとつはマイボトルやマイバックを利用して、身近なプラスチック、例えばペットボトルやレジ袋の利用をなるべく減らすこと。もうひとつはごみの分別をきっちりやること。自治体のごみ出しルールに従い、ペットボトルを買ったらラベルとキャップを外して捨てる。食品のプラ容器はさっと水で洗ってから捨てる。プラごみの洗浄には多大なコストがかかるため、汚れたプラごみはリサイクルルートに乗らないからだ。

環境問題は自分ごと

 僕だって始めはひどく面倒のことのように思われた。しかし、マイバッグ持参やごみの分別がひとたび習慣になってしまえばそれほどの労力ではなく、今では材質の識別マークを確認しなければ、気持ち悪くてごみを捨てられなくなってしまった。

 そんなの自己満足? そう、自己満足だ。僕ひとりが取り組んだところで世界は変わらない。地球環境について考えている自分が好きなだけの、単なるエゴである。
 だがたとえ自己満足であっても、その自己満足でさえ僕の愛する自然や動物たちを後世に残すことに、わずかでも役に立つのなら——。1000年後の人類に、21世紀の人類は選択ミスを犯した、などと言われてはかなわない。僕は地球人だから、地球の未来について無関心ではいられないのである。

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 マイバックやマイボトルを持参しても、結局のところ我が家のプラごみが劇的に減ることはなく、相変わらず毎週水曜日に両手で抱えるほどのごみをステーションに運んでいる。それでも、中身がきれいに分別されており、汚れをすすいでいると思えば、心なしか重さは軽くなった気はする。
 少しでも地球の未来に関心があるのなら、この小さな取り組みを継続するしかないのである。今のところ、僕にはそれしかできないのだから。