靴メーカーで職人として働いた経験のある人って、なかなかレアな人材ではないだろうか。そのぐらい、靴作りを仕事にするということは世の中的には少数派であろう。
だからこそ、実際に経験した人でしか知り得ない面白いことが多々あった。
これは、職人として働いていた日々の記録と、他では聞けない裏話。
神戸のゴム製品産業
「この業界には残業という概念がないんだ——」
私がかつて勤めていた革靴メーカーの社長がつぶやいた。
入社初日に会社のシステム説明を受けていた私は、そのことに特に驚かず、まぁそうだろうなとふに落ちた。
すでに靴業界に身を置いていた私は、革靴メーカーがおおよそどのようなものなのか、想像がついていたからだ。
なんならこのとき、この会社が手がけようとしていた新規ビジネスが、失敗するであろうことも知っていた。
残業という概念がない、つまり1日8時間の労働時間を超えても残業代は支払いませんよ、という現代社会では考えられないような企業が、神戸の靴業界ではしぶとく生き残っていた。というよりこの業界では、まだまだ残業代未払いがスタンダードである。
このような会社が百貨店に並ぶ有名ブランドの靴作りを請け負っていた、と聞くとさぞ驚くことだろう。
私はただただ靴作りの基本を学ぶために入社したに過ぎないから、別にかまわなかったし、実際に残業が発生することは稀だった。
大正時代から始まったゴム靴工業に始まり、阪神大震災までが神戸の靴作りの全盛期だったと聞く。
35年以上に渡り業界を支えてきたベテランによると、当時は『作れば売れた』らしい。長田の街には数百の靴メーカー、下請け会社、資材問屋が軒を連ね、運送会社のトラックが深夜まで走り回っていたという。
震災を機に海外進出の波が広がり、そのベテランも自らの会社をたたみ、私が入社した会社で工場長として勤務していた。その後リーマンショックを経て靴メーカーは数えるほどにまで減り、コロナショックを直撃しているであろう現在はどうなってしまっただろうか……。
私は靴メーカーの現場で職人として『貼り場』に配属された。貼りとは、靴の製造工程における『底付け』に相当するもので、貼りは神戸特有の呼び方であろう。
ちなみに靴専用の工具には、『ひょっとこ』や『ワニ』などユニークな名前が付けられたものが多く、地域によって呼び方が異なる。
底付けは、靴の組み立て作業を担う工程である。縫製を終えたアッパー(甲革)を木型にそわせ、靴底を付ける。検品でキズの有無や接着剤のはみ出しなどをチェックし、クリームで仕上げられた靴は箱に詰められ、出荷される。
さて、仕事の目的は収益を上げることである。これに異論はないだろう。勤め人であろうが事業主であろうが、仕事中の全ての行動は収益を上げるためのものでなければならない。
靴メーカーの収益は、生産した靴をクライアントに納品することで発生する。それ以外に収益化の方法はない。
にもかかわらず、このことを理解している人が、社長も含めてほとんど——いや、全くといっていいほどいなかった。工場長と、一緒に経営を支えてきたその奥様。そして私をのぞいて。
この認識の違いにより、バトルを繰り広げることになるとは。
入社当日は思いもよらなかったのである。
続く。