ドアを開けると、来客を告げる乾いた鐘の音が店内に響いた。
「いらっしゃいませ、さぁどうぞ」
いつもどおり、60歳を少し過ぎた初老のご主人が迎えてくれた。
「どうも、おはようございます」
そう挨拶しながら僕は3台ある理容椅子の一番手前に座った。朝、といっても時計の針は10時を回り、冬の優しい日差しが店内に広く差し込んでいる。隣の椅子では、ご主人の奥様が先客のシェービングを担当していた。シャンプーの香り——というよりは90年代の香りを色濃く残した店内に、ラジオからボサノバが流れている。クラシックギターとブラシで奏でるドラムに合わせて、カットとシェービングの小気味よい音が彩りを添えた。
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「ピークはこの前の日曜でしてね、昼食もとれませんでしたよ……いつもどおりツーブロックで?」
「はい、それでお願いします」
年末年始の自粛の影響を受けて、例年より年末の駆け込み需要が少し前にずれこんだようだ。
「僕もコロナがなければ帰省するんですがね」
「ご実家はどちらで?」
「兵庫県の小野市です……ご存知ですか?」
たいていはこの後、神戸から北へ——兵庫県のだいたい真ん中あたりですよと、説明しなければならない。
「へぇ! 私の母が小野の出身なんです。ほら、駅前の商店街の」
思わぬ共通の話題が見つかった。
2020年はコロナ禍に翻弄された年だった。国内初の新型コロナ感染者が1月15日に見つかり、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号での検疫官の戦いを固唾をのんで見守った。2020東京五輪は延期され、あれよあれよという間に広まった新型コロナは緊急事態宣言発令に至り、これまでの生活を改めざるを得なくなった。一体だれがマスク姿の日常を想像できただろう。激動の2020年を「密」という字が物語っている。
それでも感染の落ち着きを見計らって、近場の山で出かけたり、Go Toトラベルキャンペーンを利用してマイクロツーリズムを楽しめた。僕の仕事はWEB上で完結するから、コロナ禍の影響は最小限にとどまったことも幸いだった。
「私が小野に帰るときはね、高速バスで東条インターで下りるんですよ。ほら、東条湖ランド(現:東条湖おもちゃ王国)があるでしょ」
「東条湖ランドか、懐かしいなぁ」
僕は夏休みに東条湖ランドの流れるプールに連れて行ってもらったことを思い出した。そうして小野の話題が尽きるころにはカットもシェービングも完了し、こざっぱりした僕は立ち上がってジャケットの袖を通した。
「ありがとうございました、来年もよろしくお願いします」
支払いを済ませ、僕はお礼を述べた。
「いえいえ、こちらこそありがとうございます。よいお年を」
「よいお年を」
思えば今年、年末お決まりの挨拶を面と向かって交わしたのは理髪店のご主人だけだった。仕事柄、僕はクライアントに会うことはめったにないし、もしあっても画面の向こう側、リモートミーティングだ。年末年始のご挨拶はメールやビジネスチャットで済ます。
それでも所属している山岳会やランニングクラブ、会社員だったころの同僚、仲間内の忘年会と、例年は、多くのお世話になった人と会い、挨拶を交わすのが当たり前だった。それが2020年はただの一度きり。このことが僕の2020年をもっとも的確に語る出来事かもしれない。
来年はどんな一年になるだろうか。
ワクチンが世界中に行き届くにはまだまだ時間がかかりそうだが、ワクチン開発や景気回復の期待から日経平均株価が31年ぶりの高値で取引を終え、2020年の幕を閉じた。
とはいえ未来のことは誰にも分からない。
ひとつ確実なのは、未来は今の結果である、ということ。よい未来の原因となる日々を積み重ねる。あるがままの日々を受け入れ、今この瞬間に集中し、お天道様に恥ずかしくないよう生きるだけである。
ご主人と奥様に見送られ、そっとドアを閉じると、ドアの向こうで静かに鐘の音が響いた。外は12月にしては暖かく、空は青く透き通っている。見上げた街路樹のてっぺんで、都会の喧騒に負けじと、ヒヨドリがせわしなく鳴いていた。
これで2020年の僕のブログはおしまい。本年もTakashi Blogをご訪問いただき、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。
それでは、また来年。