京都の禅寺「鈴虫寺」を参詣した。鈴虫寺は願い事がかなうお寺として有名で、特に女性から大人気のお寺だ。
そこでは住職によるお説法も聴ける。漫談のような語り口で、面白いお説法は行列ができるほどの盛況ぶりである。
ただ面白いだけではなく、禅語に込められた意味を教えてもらえた。その中には「願い事がかなうヒント」がこめられている。
目次
鈴虫寺とは

鈴虫寺は現在の京都市西京区に1723年「鳳潭上人(ほうたんしょうにん)」によって開かれ、約300年の歴史をもつ臨済宗の禅寺である。
境内では四季を通じて鈴虫の音色が聞けることから「鈴虫寺」と呼ばれるが、正式名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくさん けごんじ)」だ。
願いが叶うお寺として有名で、特に恋愛成就を望む女性に大人気を誇る。ハイシーズンには山門下の階段まで行列が続き、2時間以上待つこともあるという。
鈴虫寺へのアクセス
住所・電話番号
〒615-8294 京都府京都市西京区松室地家町31
TEL:075-381-3830 FAX:075-381-3841
京都駅から
- 市バス【28番 大覚寺ゆき】にて、【松尾大社】下車 徒歩15分|約60分
- 京都バス【73、83番 鈴虫寺ゆき】にて、終点下車 徒歩2~3分|約60分
- タクシーで鈴虫寺まで約2,000円~2,300円|約25分
嵐山から
- 京都バス【63、73番 鈴虫寺ゆき】にて、終点下車|約15分
- 阪急電車【嵐山線松尾大社駅】下車、徒歩15分
- タクシーで約10分
幸福地蔵菩薩とお守り

山門脇に立つのは「幸福地蔵菩薩」。実は普通のお地蔵様とは違い、日本で唯一「わらじ」を履いたお地蔵様なのだ。
右手には錫杖(しゃくじょう)、左手には宝珠(ほうじゅ)を持ち、願いを叶えるために、我々のところまで歩いて来てくださるという。「願いが叶うお寺」のいわれである。
私が到着したのは、お説法の始まる9時前だったが、すでに多くの参詣人がお地蔵様の前に集まり手を合わせていた。願い終えた参詣人の表情は、みな晴々と見えた。

特別なお地蔵様だからこそ、お願いにも作法がある。まずは、願い事はひとつだけにすること。決して欲張ってはいけない。
そして、願い事と一緒に住所をお伝えするのを忘れてはならない。お地蔵様が歩いて来てくださるのだから、住所をお伝えしないと迷われてしまうのだ。
幸福お守りを両手にはさみ、名前、住所、願い事をひとつだけお願いする。お守りは財布などに入れて常に身につけておこう。お守りは身につけてこそ、自分を守って下さるからだ。
漫談のようなお説法

お説法といえば「神妙な空気の中、堅苦しいお話を聞く」というイメージがないだろうか? 鈴虫寺のお説法はそんなイメージを覆した。
住職の軽快な語り口で、まるで漫談のようなお話を聞ける。ときおり境内に笑い声が響いた。禅宗の作法「茶礼」に従い、お茶とお菓子をいただきながら、足を崩して気楽に聞ける。
それでいて、願い事をかなえるヒントになるような有難いお話が聞けるのだ。
そして、お寺だからといってスピリチュアルな話ではない。私たちの日常生活の行動・心の持ち方にこそ、そのヒントが隠されているという。
結果自然成(けっかじねんになる)
説法の中で禅語のお話があったのでここで紹介したい。まずは「結果自然成」。
これは、正しい目的に向かって努力を続ける人には、必ず相応の結果が現れる、という意味である。では、正しい努力とは何だろうか?
人は皆欲望を持っており、「自分が! 私が!」と他人を顧みない行動をとってしまうことがある。自分の利益のみを優先させてしまう。そして、タイミングをわきまえず性急に結果のみを求めてしまうことがある。
しかし当たり前の話だが、人は1人では生きていけない。何かを成し遂げるには、他者の協力が絶対に必要だ。常に自分のみを優先する人には成功がないというお話だった。
やはり、筆者にも思い当たるふしがあり耳が痛い。住職はこう締めくくった。
「夢や目標に向かって、皆努力はしている。難しいのは、いつ訪れる分からない、成果があらわれる時まで努力が続けられるかどうかだ」。
いつ訪れるか分からないその時を迎えるため、次の言葉も心に留めておきたい。
只今(ただいま)
目標に向かって努力を続けていても、必ず思い通りにいくとは限らない。思い通りにいかないと、人は迷い悩む。
住職いわく「悩みの根源は、思い通りにならないこと」だそうだ。そんな時は、この言葉を思い出してほしい。
自宅に帰って来て最初の一言「ただいま」。これは、「ただいま帰りました」の略といわれており、禅語の「只今」のことである。
今現在に集中するという意味で、思惑や損得を忘れ「只々、今、目の前のことと向き合う」ことだ。
そうすれば、結果は後からついてくる。「そもそも、本当にキツい・しんどい時は余計なことは考えられない」と住職は語る。
私の経験では、例えばフルマラソンがそうだった。30km地点までは、目標タイムを計算してペースを計りながら、声援に応えて……とあれこれ考える。
だが、35km以降に考えることはただひとつ。「ゴールしたい」。
ただただゴールしたい一心でとにかく走った結果、目標タイムを達成できた時は、言葉では表せないほどの達成感に包まれた。
全てがこのように上手くいくわけではない。2度目のフルマラソンではタイムを伸ばせなかった。
しかし、挫けそうな時には「結果自然成」と「只今」を思い出し、目の前の事に集中したいと思う。
感謝の気持ちを忘れずに
最近では「観光寺院が増えて、写真を撮ってお庭を見ただけで帰られる人が増えた」ことを、住職は寂しそうに語る。せっかくお寺に来たのだから、ご本尊にお参りして、住職のお話を聞いてほしいとのこと。
もともとお寺とは悩める人に救いの手を差し伸べる場所だから、気軽に訪れて話かけてほしいのだそうだ。
そして、お守りやお札は大切に扱ってほしいと聴衆に訴える。家内安全・商売繁盛、人それぞれ願うのは自由だが、お金を払ってお守りを買って、一方的に願いを叶えてくだいさいでは虫がよすぎる。
1日の少しの時間でいいから、お守りやお札に感謝の気持ちを捧げてほしい、とのことだ。
お説法で学んだ一番大切なことは「感謝の気持ちを持つ」ことだ。鈴虫寺へ参詣できる、健康な体を持っていることに感謝すべきだ。
その前に、生きていることに感謝すべきか。何にせよ、鈴虫寺のお説法にはより良く生きるヒントが沢山込められている。そう感じずにはいられない、充実した1日だった。