2020年12月9日の読売新聞夕刊の、とある見出しに目がいった。
「近場で登山 油断しないで|六甲山遭難20年で最多」
それによると、新型コロナウイルスの感染拡大で、3密を避けられる近場のレジャーとして人気が高まっていることが背景にあるという。
六甲山といえば関西でも人気の低山で、コースによってはファミリーでも楽しめる山である。登山道の難易度は低く、一見安全そうに見える低山で、なぜ遭難事故が発生しているのだろうか。
そこには、低山だからこそ気をつけたい危険が潜んでいるのだ。
目次
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低山こそ注意したい道迷い
六甲山系でもっとも多い遭難原因は道迷いである。これは何も六甲山に限った話ではない。
警察庁による令和元年における山岳遭難の概況によると、全国の遭難者数2,937人のうち、1,142人、 実に38.9% にあたる人が道迷いにより遭難した。
過去5年間のデータを見ても、道迷い遭難の占める割合は毎年約4割と、もっとも高い数値を示している。
さらに道迷いを発端に転倒・滑落した事故は転滑落に分類されるから、実際には道迷いを原因とする遭難者数はもっと多いのかもしれない。
兵庫県警察によると、去年1年間に県内の山で遭難した人は168人にのぼり、遭難が起きた場所は六甲山系がもっとも多く72人だったという。また、都道府県別の遭難者数では、長野県、北海道、山梨県についで兵庫県であり、全国ワースト4位であった。
ちなみに兵庫県の最高峰は氷ノ山の1,510mであり、六甲山の最高峰は931mである。兵庫県に高い山はない。
遭難と聞くと高く険しい山での事故を想像するかもしれないが、道迷いは身近な低山でこそ発生しやすい。
それは登山道が限られる高山と比べ、低山には獣道や作業道が無数に走っているからだ。
特に六甲山系は登山コースが多く、分岐も多い。それだけに判断を迫られる回数が圧倒的に多いのである。
地図にない道や道標のない分岐だってざらにある。そんな場面に出くわしたとき、正しい判断を下す自信があるだろうか。
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山の必携装備|地図とコンパスと山地図アプリ
道迷い遭難を防ぐためには何が必要だろう。
それは予定コースを入念に下調べし、地図とコンパスとスマートフォンの山地図アプリを携帯し、現場で使うことである。
以前こんなことがあった。六甲山系の摩耶山周辺で、道を尋ねられたのだ。
「この道で合っていますか?」
「どちらまで行かれます?」
「分かりません」
また別の日には……。
「山頂はもうすぐですか?」
このとき僕のいた地点からは複数のコースがあり、再度山、高雄山、摩耶山と山頂もたくさんあった。
「どこの山へ登られますか?」
「分かりません」
これは極端な例としても、実際に地図も山地図アプリも携帯せずに歩いている人、または走っている人によく会う。危なっかしくてこっちがヒヤヒヤしてしまう。
チェックポイントごとに現在地とルート確認を
「地図とコンパスは携帯しています!」
いかにも山のマナーは守っていますよと自信満々にアピールするが、実はどちらもバックパックにしまいっぱなしで使ったことがない……。このような人も意外と多いのではないだろうか。
残念ながら、地図やコンパスは携帯さえすれば事故を防いでくれるお守りのような効果はない。迷ってから地図を広げたところで時すでに遅しである。地図とコンパスは実際に使わなければ用を成さないのである。
とはいえ、その使いこなしには訓練を必要とする。初心者にはハードルが高い。だからこそ、グーグルマップと同じような感覚で扱える、山地図アプリをインストールすべきなのである。
そして分岐や山頂、その他のチェックポイントごとにアプリを起動し、現在地と先のルートを確認する。この習慣が道迷いを未然に防ぐのである。
ヘッドライト・雨具・防寒着も忘れずに
六甲山の山上の半分は観光地として開発され、ロープウェイや自動車でもアクセスできる。数ある登山口も街中からすぐ。これは大変便利なことだが、その一方でアクセスが容易だからと、公園の散策気分で入山してしまう人もいるようだ。
低山だからと侮ってはいけない。
山中には道迷いの他、天候の急変や野生動物との遭遇、転倒・滑落などのリスクが常に潜んでいる。それらに備え、万が一下山が遅れたときのためにヘッドライトを用意し、雨具や防寒着も——晴れの日でも夏場でも——携帯しておきたい。たとえそれが2〜3時間のハイキングであってもだ。
こうしたリスクを認識し、備えることが事故防止へつながるのである。
低山だからと侮らない
六甲山系の遭難原因でもっと多いのは道迷いである。全国の遭難者のうち、毎年約4割の人が道迷いにより遭難している。
これを防ぐには地図とコンパスと山地図アプリを携帯し、実際に使うことが大切である。リスクを十分に認識し、不測の事態に備えたい。低山だからと決して侮ってはいけないのである。