フェリーさんふらわあ

【フェリーさんふらわあ】大阪〜別府・弾丸フェリーの旅

 フェリーの展望デッキで風に吹かれながら、幼少期のことを思い出した。

 私の初めての船旅は、母に連れられての淡路島だった。兵庫県から淡路の動物園へコアラを見学に行ったのだ。

 まだ私が小学生だった1990年代前半、本州と淡路を結ぶ交通の要はフェリーだった。観光シーズンともなれば、乗船車両の待機場に長蛇の車列ができることは日常のワンシーンだった。

 それが1998年に明石海峡大橋が開通して以降、交通の要は同橋へと変わった。それに、現在は高速道路や鉄道網の発達に加えて格安航空会社の登場もあり、日常的にフェリーを利用する人は限られているだろう。

 だから船旅は非日常である。

 大人になった今でさえ、出港前の高揚感を抑えられないのだ。小学生だった私のはしゃぎようを想像してもらえるだろうか。土産物が並ぶ船内の売店や、片隅にあるちょっとしたゲームコーナーが、海に浮かぶ夢の国のように思えたものだ。

 そんな思い出を胸に、今回目指すのは大分県・別府市である。大阪と九州を結ぶ「フェリーさんふらわあ」を利用して、ハイキングと温泉巡りを楽しむ計画だ。

展望デッキから大阪南港の夜景を楽しんだ。

 乗船手続きを済ませ、タラップを船内へと向かった。階段を上がった先のロビーで乗船員たちの歓迎を受け、部屋の鍵を受け取った。ロビーには案内カウンターがあり、その正面には、AデッキとBデッキをつなぐ階段が左右に分かれて続いている。木製の手すりをしつらえた内装はレトロなホテルのようだった。

 さんふらわあの客室にはいくつかのグレードがある。窓から眺望を望めるデラックスルームとファーストルーム。最低限の設備を調えたスタンダードルームに、大部屋・雑魚寝スタイルのツーリストルームなどだ。

 私が選んだのはスタンダードルーム。部屋に入ると小さなテーブルとテレビがあり、その脇の2段ベッドに目が留まった。入り口の左手には洗面台もある。4畳ほどのスペースにそれらがコンパクトにまとまった、ゲストハウスとビジネスホテルの中間のような部屋だ。

 さんふらわあは大阪南港を19時05分に出港し、翌朝6時55分に別府国際観光港に到着する。決して広くはないが、その一晩を過ごすのに十分な部屋だった。

「やはり旅は船か列車だよな」

 これは「12万円で世界を歩く:朝日文庫」の著者・下川裕治氏の言葉である。紀行作家である下川氏の旅はいつもバックパッカースタイルだ。飛行機や新幹線利用をなるべく除外し、船やローカル列車で旅をする。

 私が20代のころに「12万円で世界を歩く」に出会い、それからというもの、いや、もしかしたらそれ以前からか、快適で豪華なお仕着せのツアー旅行にはまったく興味を示さなくなってしまった。私の愛読書の多くは旅を書いたものだが、その中身は格調高い紀行文学作品ではなく、湯水のごとく金をつぎ込んだ豪華・世界一周の旅でもない。ローカルバスに35時間も揺られ続け、炎天下のもと国境を目指して歩き続けるような、現地に解け込み、その土地のリアルが伝わってくる旅の本だ。

 新幹線は早い。飛行機も早い。だが近代的でハイテク設備が整ったターミナルはどこかよそよそしく、味気なく感じてしまう。記憶の中から色が抜け落ちた、哀愁を誘う幼少期の船旅をもう一度——。

 目をつけたのが「フェリーさんふらわあ」だった。

 さんふらわあには3つの航路がある。神戸~大分、大阪~鹿児島、そして大阪~別府航路である。いずれも夕方に出発し、翌朝に到着する夜行便だ。

 いくつかあるプランの中から、現地ゼロ泊の「弾丸フェリー」を選んだ。移動と宿泊を船内で済ませ、現地で最大12時間を過ごせるプランだ。

 ではその12時間をどう過ごそうか。

 九州には阿蘇山をはじめ、九州の屋根と称される九重連山など、魅力的な山々が数多くある。フェリーの航路や現地での滞在時間を考えた結果、大阪~別府航路がよさそうだった。別府には日本三百名山である鶴見岳(標高1375m)があり、温泉県として名高い。市内には別府八湯と呼ばれる温泉郷がり、鉄輪温泉の地獄巡りが有名だ。

 早朝に別府国際観光港に到着し、市内の路線バスで鶴見岳ハイキングと鉄輪温泉を楽しむ。そして再びフェリーで帰阪する弾丸プランが、こうしてでき上がったわけだ。

 荷物を部屋に預け、船内を散策しているとアナウンスが流れた。

「ただいま、花火が上がっております……おそらくUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)からのものです」

 ビルの隙間から、わずかに花火が見えた。コロナ禍により2020年は各地の夏の風物詩が中止された。今年はお目にかかれないと諦めていたが、船上からわずかでも花火を見学できたのは幸運だった。

 コロナ禍は世界中に影響を与えたが、それは船内での食事も例外ではない。さんふらわあの船内レストランは本来バイキング形式だ。和洋折衷の料理が並び、自由に味わえる予定だった。

 しかし、新型コロナウイルスの感染が微増傾向にある今、感染拡大防止とバイキングの両立は難しいのが現実なのだろう。レストランのメニューは持ち帰りができるセットニューに変更されていた。

 私が頼んだのはA定食、1,200円なり。糖質オフビール250円も忘れてはならない。豚の角煮とえびチリをメインに、春巻きやミニサラダがセットされていた。スープは3種類の中から味噌汁を選んだ。

 WEBサイトのメニュー写真を見たときはコンビニ弁当を想像していたが、ちゃんとキッチンで調理された温かい食事で、味も悪くない。窓際の席から海を眺めながら、弁当を肴にビールをやり、出港までの時間を過ごした。

船内レストランの様子。早くバイキングが復活してほしい。

 出港15分前に”ドラ”の合図が鳴り響いた。イカリを上げているのが分かる。いよいよ出港だ。時刻になると巨大な船体がゆっくりと動き出し、向きを変えて進み始めた。次第に大阪南港が遠のいていった。

 食事を済ませ、出港という船旅での一大イベントを終えると、取り立ててやることがなくなった。フェリーは陸地を遠く離れ、真っ暗闇の海上を九州へと向かっている。

 やることがないのは他の乗客も同じようで、ビールを片手にパブリックスペースでぼんやりと過ごしたり、スマートフォンのゲームに夢中になったりと、船内の過ごし方はそれぞれだ。長距離トラックドライバーと思わしきグループは、テーブル席に陣取って酒盛りをやっていた。

 入浴を終えた私はさっさと部屋に戻り、読書をしながら過ごした。部屋はビジネスホテルのようではあるが、それとは決定的に違う点が、揺れることである。小型船ではないから激しい揺れではない。それでも海の上を波をかき分けて進んでいることが体に伝わってきた。

 この揺れが眠気を誘う。電車に揺られ、気がついたら眠りこけていたのと同じだ。夢うつつに「まもなく明石海峡大橋を通過します……」とアナウンスが聞こえたのを覚えている。昔、母に連れられて渡った明石海峡を、再び船で渡っているのだ。哀愁を帯びた思い出が、再びよみがえってきた。

 やはり、旅は船か列車に限るのである。

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